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東京高等裁判所 昭和56年(ラ)893号 決定

抗告人

田中勇

右代理人

水野邦夫

相手方

尹福男

抗告人は、千葉地方裁判所昭和五六年(ル)第三九一号、同年(ヲ)第八四九号債権差押及び転付申立事件につき、同裁判所が昭和五六年九月一四日に決定し、同月一七日抗告人に送達された債権差押及び転付命令につき、執行抗告を申し立てた。当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件執行抗告の裁判は、千葉地方裁判所昭和五六年(ワ)第一〇〇四号請求異議事件の判決あるまで留保する。

理由

抗告人の抗告の趣旨は「原決定を取り消す。本件債権差押及び転付命令の申立を却下する。手続費用は相手方の負担とする。」との決定を求めるにあり、理由書に記載せられた抗告理由の要旨は、第一に、原裁判の債務名義とされた執行証書の作成嘱託が無権代理人によつてなされたから、右執行証書は効力を有しないというのであり、第二に、原裁判の債務名義とされた執行証書に表示された請求権が実体上の権利関係と符合しないのみならず、既に弁済によつて消滅したものである、というのである。

よつて案ずるに、執行証書作成に関する代理権の欠缺及びその内容である請求権の不存在ないし消滅は、原則として執行抗告の理由となりえず、本件においてその主張の当否を審究すべき限りでない。しかしながら、抗告人は、更に、追加理由書を提出し、昭和五六年一〇月五日、原裁判所において、原裁判の基礎となつている債務名義たる公正証書に基づく強制執行の停止決定を得たことを理由として、主文同旨の決定を求めている。そして、この追加申立書の提出は右同日(一〇月五日)であつて、初め抗告理由の記載のない本件抗告状の提出された同年九月一八日から一週間以上経過しているから、民事執行法一〇条三項により、この追加理由書の提出は不適法と考えられないではない。

しかしながら、追加理由書記載の右理由は同法一五九条六項記載の特殊な執行抗告理由にあたるものであつて、当裁判所は、これについては、同法一〇条三項の例外を認めるのが相当であると考える。その理由は次のとおりである。

同法一五九条六項の執行抗告は、転付命令が発せられた後に同法三九条一項七号又は八号に掲げる文書、すなわち、「強制執行の一時の停止を命ずる旨を記載した裁判の正本」又は「債権者が、債務名義の成立後に、弁済を受け、又は弁済の猶予を承諾した旨を記載した文書」を提出したことを理由とするものである。本件はその前者の場合であるから、以下前書について論じることとする。例えば、偽造印鑑による代理委任状を用いて作成せられた執行証書によつて強制執行がされた場合を考えると、それによつて執行を受けた債務者にとつては全くの寝耳に水の事件であるから、これに対応して防衛の手段を講じ、例えば請求異議の訴を提起しうるに至るまでには相応の日時を要することは、その間の調査、証拠の収集等に想到するまでもなく、当然のことである。しかし、転付命令以外の強制執行は、差押から換価の実現までにかなりの日数を必要とするから、右のように異議訴訟提起までに相応の日時を要しても、その暁に同法三九条七号の文書を提出しうるに至れば、それはなお十分その用をなし、間に合うのである。

ところが、執行が転付命令によつてなされる場合には、転付命令の確定によつて執行は完了してしまうのであるから、右とは事情が異なる。同法一〇条の規定に従えば、転付命令送達の日から一週間内に執行抗告をし、その抗告状において、もしそれに間に合わなかつたときは、抗告状提出から一週間以内に提出されるべき理由書において、強制執行の一時停止の決定を得たことを理由として記載することを要するのであるから、結局、転付命令送達の日から右の期間(これは文言の上では、最大二週間の余裕が認められていることになるので、債務者は停止決定取得まで実質上二週間の期間を利用しうるものと考えられ勝ちであるから、一言付記するが、執行債務者は必ずしも法規解釈の専門家ではないのであつて、時間を稼ぐためわざわざ理由の記載のない抗告状の提出を一週間の不変期間経過の直前まで遅らせるという手段を弄するとは限らず、転付命令の送達を受けて、慌ててとりあえずの防衛手段として理由を記載しないで抗告状を提出するといつた事態も考えられるのである。現に本件では、抗告人は差押・転付命令の送達を受けた日の翌日に抗告状を提出している。従つて、債務者に二週間の余裕があるのが一般であるとするのは必ずしも相当でない。)内に執行停止決定を得られない限り、転付命令は確定してしまう。しかし、先に挙げたように、債務者にとつて寝耳に水のような強制執行でしかも執行債権額が巨額である場合等を想定すると、仮に適時に請求異議の訴を提起しても、保証金の調達に苦しんで執行停止決定の取得が遅れてしまうことがありうるし、また、異議の訴の提起に伴う停止決定は即日なされるのが実務の慣わしではあるが、裁判所の事務の都合で、一日二日遅れることも必ずしもなきを保し難く(同法三六条三項の規定の活用によつてもなお右のような場合につき債務者を救済することはできない。)、停止決定の適時の取得を強いることが債務者に酷となる事態のあることを考えるべきである。

本件では、抗告状提出後適時に提出された理由書記載の理由は、先に説示したとおり、執行抗告の理由としては適切を欠くのであるが、これが提出されたことによつて転付命令が未確定であつた一〇月一日に請求異議の訴が提起され、同日、強制執行停止決定の申請につき同月一二日を期限として保証金一五〇万円の供託が命ぜられ、右供託を経て、同月五日停止決定がなされ、同日直ちに、その旨記載した本件追加理由書が提出されたことは本件記録上明らかである。今もしこの追加理由書の提出を不適法として転付命令を確定させると、債務者としては債権者に対して新たに不当利得返還の訴を起す以外救済される方途がないことになり、請求異議の訴は目的を失い、前記のとおり裁判所に命ぜられるままに保証金を調達した努力も水泡に帰してしまうことになる。

民事執行法一五九条六項は、転付命令の発付後に生ずる事由である執行停止決定を取得したことを理由として特に執行抗告の理由とすることを認める趣旨のものであると解されるから、これにつき他の執行抗告理由と同列に扱うことは、右規定を設けた趣旨から必ずしも合理的でないのみならず、むしろ、同法一〇条三項の期限経過後であつても転付命令未確定の間は右理由をもつて適法の抗告理由とすることができるものと解するのが相当である。

よつて、本件執行抗告については、前記執行停止決定につき抗告人の提起した請求異議の訴の判決において裁判するまで留保することとし(民事執行法一五九条六項の規定による裁判の留保は、事実上執行抗告についての裁判を留保することを意味するのであるが、本件のような場合には、事実上裁判を留保すべき場合にあたるかにつき法律上疑問もあるので、民訴法一八四条の規定の趣旨に準じ、特に裁判するのが相当であると考える。)、主文のとおり決定する。

(鈴木重信 倉田卓次 高山晨)

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